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和食という文化を守る

2014.08.09

始まりは、「友人がお店を出すので相談に乗ってほしい」今から1年半程前、友人の一本の電話だった。

 

話を聞くと、出身は名古屋で、和食の料理人として12年ほど前に和食の本場である京都の三大老舗旅館のひとつ「柊家」に板場修業の場を移し、自分が生まれ育った土地、名古屋で永年の夢であった自分の店を出したいという事だった。

 

料理人の世界はとても厳しく、特に京都では信頼おける人からの紹介でないと、一流の場所で料理人として働く事は許されないそうだ。

 

この「柊家」という旅館は、芸能人やハリウッドスター等がお忍びで使うような日本を代表する一流旅館だ。いわば和食の最高峰と言っても過言ではない。その経歴だけを見ても、料理に対する実直な姿勢と職人気質な人柄が解る。

 

ところが、いざ物件を探し始めると、ロケーション・規模等でカチッとハマる物件に中々出会えず。。。

一年程かけ、ようやく気に入った物件が見つかり、申込するも貸主さん都合で契約出来なかった。

 

丁度時を同じく、親しくさせて頂いている不動産会社の社長より「店舗物件を建てるので良い人いたら紹介して」と連絡が。

その時の資料がこちら。

この四間道という地域は、一般的に言われる栄・名駅地下街のように人が沢山歩いているという立地ではないが、予約が取り辛い飲食店が数多く存在している。

 

四間道は、元禄13 年(1700 年)の大火の後、防火を目的に整備され、道幅を4間(約7m)とし、道の東側は一段と盛土で高くし、石垣の上に土蔵を連続させたと言われているが、土蔵の建設は、元禄の大火前後に盛んに行われていた。

四間道整備の目的は、防火のほかに、むしろ、東側の大船町の町人地と、西側の町続地との境界線、また、次第に活発化する堀川沿いの商業活動に対処するための交通需要対策とも考えられる。その後もこの地区は、享保9 年(1724 年)、宝暦7年(1757年)、文化8 年(1811 年)と、大火にみまわれているが、その度に、市街地の整備が進められた。

四間道をはさんで、東側に土蔵、西側に町家が通りに面して建てられているといった、四間道独得の景観は、元文年間(1740 年頃)には生み出されたのである。

 

名古屋市が歴史まちづくりを進めるために、歴史まちづくり法(正式名称:地域における歴史的風致の維持及び向上に関する法律)に基づいて策定した歴史的風致維持向上計画が、平成26年2月14日に国の認定を受けました。その地域に四間道地区が入っております。<計画策定の意義>歴史的建造物と伝統的な人々の営みが一体となった「歴史的風致」をまとめ、市民の皆さまに知っていただくとともに、歴史的風致の維持向上を図る各種事業を行い、歴史を大切にしたまちづくりの推進につなげる。国の認定により、歴史まちづくりを進めるための国庫補助の拡充を受けられる。国の認定により、名古屋市が京都市・金沢市・高山市などと並んで歴史都市として位置付けられ、歴史まちづくりの一層の推進が図られる。

 

上記の様な歴史と伝統のある街で、四間道の『過去から現在そして半歩先へ』の同一性に徹底的に拘り、京都の町家・土蔵まで設計士が実寸を計測しに行き、街並みや全体の造成美・建築工法にまで拘ったプロジェクト。

「街を彩るのは人である」という基本理念の元、出店テナントもこの基本コンセプトに共感してもらえる「人」が重要だと考え、「立地+建物+人」の三位一体で進めているこのプロジェクトに賛同頂ける方のみ紹介するという拘りぶり。

場所は、名古屋駅にほど近い「四間道」という地域だ。

拘り抜いた場所・建物に拘り抜いた料理人。永年不動産の仕事をさせて頂いているが、これ程までにガチっと音がする程綺麗にハマったのは初めてだ。早速ご紹介するとすぐに前向きな話になり、すぐにオープンに向けての打合せが始まった。

 

不動産の仕事をしていると、いつも感じる事だが、この人は元々ここでお店を出す事が決まっていたんじゃないかと思える位、それまでのうまくいかなかった色々な事も含めて全てが必然で、不思議な位自然の流れの中で物件が決まっていく。

 

そんな中、重なるときには重なるもので、今年の2月21日にその料理人に第一子が誕生した。

独立と子育て。人生の大きな節目が一度に訪れ、慣れない交渉事に慣れない育児の日々がやってきた。

 

次から次へと起こる問題に追われながら、不慣れな厨房で仕込みをするも妥協できない性格なので、徹夜し厨房で朝を迎える日もあった。そんな状況を全て乗り越え、ついに2014年8月8日(金)念願のお店がオープンできた。

 

ただ単純にお店を貸したり借りたりするだけという事ではなく、自分と関わった人にキチンと向き合ってお互いの想いを強い鎖と鎖で繋いでいく。

人生をかけた大きな節目の場に立ち会え、そのお手伝いをさせて頂けるという事は、不動産業者としてのこれ以上ない最高のよろこびだ。

 

「自分がお店を出してうまく行く事で、若い料理人の子達も"自分も頑張ればああなれる"と思って貰い、世界に誇れる和食という文化を守り、キチンと後世に伝えていく事が自分の使命」と熱く語った顔がとても印象的だった。

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